私にとっての「相棒」
「相棒」と聞いて真っ先に人の顔が浮かぶ方も多いかもしれませんが、私の場合、若手社員の育成も兼ねて日々の業務に取り組んでいることもあり、「この人が相棒だ」と一人に絞るのはなかなか難しいのが正直なところです。そこで今回は少し視点を変えて、「人」以外の相棒についてお話ししたいと思います。

私にとっての相棒。それは、キルティングマシンです。アサヒの主力商品である「フィットカバー」を縫製する、2台の大型マシン。この機械たちと私は、もう十数年の付き合いになります。入社してから18年が経とうとしていますが、そのうち半分以上の時間を、この2台と共に過ごしてきました。まさに、苦楽を共にしてきた相棒です。
このキルティングマシンが導入されたのは、今からおよそ40年前の昭和61年12月。当時はまだ私は子どもでしたが、それ以来、平成、そして令和と、時代を跨いで今も現役で動き続けています。1台の機械がここまで長く現場で活躍し続ける例というのは、業界全体を見渡しても珍しいことではないでしょうか。一般的には、30年程度で寿命を迎えるとされている機械です。なぜこの2台は、40年近くも第一線で活躍し続けられているのか——。

その答えは、歴代の担当者たちが機械に注いできた「愛情」と「手間」を惜しまなかったからにほかなりません。今どきの機械はコンピューター制御で、ある程度自動で調整してくれますが、このキルティングマシンは昭和生まれの、モーターと歯車で動く昔ながらの構造です。だからこそ、こまめな手入れが欠かせません。油の注ぎ忘れひとつが、致命的な故障につながることもあるのです。
私自身も、日々の点検、グリスアップ、ネジの緩みチェック、摩耗部品の交換など、丁寧なメンテナンスを重ねてきました。簡単に部品が手に入らないこともあるため、時にはパーツを手作りすることすらあります。最初は覚えることも多く、道具の扱い方一つから先輩に教わりながら、少しずつ身につけていきました。時間をかけて機械の声を聞く感覚を覚えた今では、「今日は少し音が違うな」と気づけるようにもなってきました。
この2台のキルティングマシンは、今や日本国内にはアサヒにしか存在しない、唯一無二の機械です。だからこそ、私たちが責任を持って守っていかなければならないと思っています。過去の先輩たちが大切に扱ってきたように、私もこの相棒たちを信頼し、手をかけて、次の世代にしっかりと技術を継承していきたい。そんな思いを胸に、今日も相棒と向き合いながら、現場に立っています。

Yさん