【コラム】ウィスパー 環七沿いの囁き Vol 6

ウィスパー 環七沿いの囁き Vol 6

アサヒは昭和40年(1965)に創業し今年で55年になります。(※1)

 

私は、先代社長の妻として、創業から今日まで(株)アサヒとともに歩んできました。何度も時代の荒波を経験しましたが、その度に従業員一丸となって、一人一人の試行錯誤で乗り越えて、今日があると改めて実感しています。

55年前、先代の社長が起業したきっかけは「ハイラック」という商品でした。

今では、学習机のように高い位置に本棚がついている机がありますが、当時は、平机しかありませんでした。家具問屋に勤めていた夫は、「机を広く使いたい!でも台帳などもすぐに手の届くところに置きたい!」と考え、スチール製の足のついた本棚を考案しました。

これがヒットし、独立したのです。

 

その後も、家具問屋で営業や配達をしていた経験を活かして、家具を運ぶために便利な道具をいくつも考案しました。一方で、平あて布団の需要を見込んで、昭和43年に千葉県柏市に本格的に工場を建て、養生布団の生産にも精を出しました。それまでは都内で賃貸の地下駐車場を改造してミシン場として生産してきましたが、このころから製造の拠点は千葉に移っていきました。

 

その頃が一番、資金的に大変でした。創業間もないこともあり、夫は、「支払う金がない」とよくボヤいていて、私もつらい思いをしました。

 

丁度その頃、仏壇屋さん向けに様々なサイズの特注カバーを作るようになっていましたが、このカバーが伸び縮みすれば1種類のカバーで対応できると考え、工場長である弟と二人で試行錯誤し、現在の筒形でゴム入りのフィットカバー(旧商品名ハイパット)を生み出したのでした。

 

フィットカバーは、昭和59年に実用新案を出願し(※2)、大手運送会社さんや、できたばかりの引越専門の会社さんにも認めていただき、全国へ売れるようになったのです。

 

昭和62年に、野田市に今までより大きな縫製工場を建設しそこへ移転しました。当時は本当に忙しくて、お客様のトラックが工場の近くで待っていて、作っているそばから、積み込んでいくような状態でした。社員は勿論ですが、パートの人たちもとても頑張ってくれたと思います。縫製の仕事なので女性が多く、その力に本当に助けられました。

 

私自身も55年、ずっと働いてきましたが、今でも毎日会社へ行って、パートの皆さんと仕事ができることに、とても感謝しています。

 

令和2年、コロナウイルスという大きな危機に直面していますが、今までいろいろな困難を乗り越えてきているので、きっとこの危機も乗り越えられると信じています。

※1創業は昭和40年(1965年)、設立は昭和41年(1966年)

※2特許は平成2年特許公報

 

F・N さん

※次回は10月31日発行の予定です。お楽しみに!