【コラム】キルト職人奮闘記 VOL.10

キルト職人奮闘記 VOL.10

私は、31才の3月に野田に引越ししてきました。偶然ではありましたが、アサヒの工場のすぐ近くのマグロを卸す会社にパートで勤め、コロの鮪(マグロ)をサクに下ろし、スーパーに出すパックに詰める作業をして8年間勤務しました。その会社は移転が決まり、私はほかの場所にまで通うことはできないので、辞めることにしました。

42才の時にアサヒの募集のチラシを見たのをきっかけに、その年の2月に入社し、縫製の仕事、ロックの業務また、特注製品作りと業務を覚えていきました。もともとミシンは好きだったので楽しい反面、業務で要求されることは厳しくて何度か泣いたときもありました。やっといろいろなことを覚え、仕事も順調に滑り出したとき、突然主人が難病にかかり、10年間お世話になったアサヒを辞めざるを得ないことになりました。

主人を3年間介護して、夫婦で幾度となく話し合い泣き、笑い、辛さや喜びの複雑に混ざった2年が過ぎた頃、段々と弱る主人は歩くことも話をすることさえもできなくなりました。入退院を繰り返す1年を過ぎ、60才でこの世を去りました。まだ体も元気で主人に必要なことをいろいろとしてあげられる時間、体力があったことは本当に幸いでした。

「これから何をしたらいいのだろう」と途方に暮れている時、ふと思い立って洋裁やバック作りを習うことにしました。そうしているうちに、アサヒの責任者から「仕事をしていないなら、もう一度アサヒで仕事をしませんか?」と声をかけられ再びアサヒで働き始めることにしました。主人の入院中も必要な身の回りの物を手作りしたり、介護用ベッドの手すりにつける備品入れのポケットをいくつもつけた「備品収納ポケット」を作ったり、仕事の無い日は自宅で注文を受けたバックを作り、紙紐細工も習い、人に教えることができるまでになりました。新しいものを作る・・・私は「モノづくり」が好きなんだ! 有意義で創造的な余暇の使い方が主人を失ったわたしの空洞をやさしく埋めてくれたように思います。

今、アサヒでマットレスカバーを専門で作って10年が経ちます。私も71才になり、あと何年務められるか分かりませんが、仕事を任される以上はできるだけ頑張っていこうと思っております。

K・Iさん