【コラム】キルト職人奮闘記 VOL.6

キルト職人奮闘記 VOL.6

私が縫製関係の仕事に出会ったのは、今から50年くらい前です。勤めていた会社の先輩が「テーラードスーツ」を素敵に着こなしていました。興味が湧いた私は、早速聞いてみました。すると、自己流で型紙から自分で起こし、生地を裁断し作っているというのです。ほんとうに天才ではないか!と思いました。

あるとき、体調を崩してしまった私は、一時的に実家に帰省しました。ちょっとしたことが上手くいかない時期だったのだと思います、それに輪をかけるように、厳格な父親から何をやってもダメだと叱咤され、口惜しさと情けなさで胸が押しつぶされそうになりました。そんな時、ふと「テーラードスーツの先輩」の言葉が脳裏に浮かびました。実際何をやってもしっくりこないでモヤモヤとしていた私は、思い切って募集をしていた縫製会社の面接に行き、住み込みで働くことを決意しました。

昼は会社で働き、夜は文科系の学校に行くという生活は、新鮮で、同期の友達もお互いライバルのように意識しながら一生懸命働きました。学業と縫製技能の習得に一心不乱で取り組みました。石の上にも三年と言うように、3年が経つころには、社長や先輩に様々なテクニックを学び、一人前に自分の洋服を作ることができるようになっていました。そんな中、同僚は田舎に帰り働く人もいましたが、私は寮のある会社を選び実家から離れて働いていくことにしました。

結婚してしばらくして、上の子が3才になった時、ミシンで子供服を作る内職を始めました。結婚、出産後しばらく離れていたものづくりの喜びが一気に湧き上がってきました。作ることの楽しさや着てもらうことの喜びは今でも忘れることはありません。

内職と子育てをして7年程経ち、下の子も学校に上がり、家を空けることができるようになったのをきっかけに求職をしました。アサヒの募集に「ミシン経験者求む」と書かれていたのが目に留まり、入社することにしました。それが今から30年前です。

「自分にもできる!自分に合った仕事だ!」と思い入社した当時は、仕事がとても厳しく、忙しく、無我夢中でした。仕事の内容も、縫製ではありましたが以前のものとは違い、覚えることがたくさんありました。一生懸命に勉強して、色々な部署で経験し、今考えると良い勉強だったと思います。

アサヒの製品をテレビで見かけることがあります。やはり目に付くのはブルーのフィットカバーですね!!廊下に敷いてあるエンジ色のマットも、家具に被せている紺色のカバーも、椅子を包んでいるカバーもすべて、私たちが作っている商品です。自分の会社で作っているものが目に留まるとき、深い感激とともに「この仕事に携わってきて本当に良かった!光栄だな」と思います。今は、特注品の縫製を担当しています。お客様のニーズに合ったモノづくりをこれからもしていきたい!その一念で今日もミシンに向き合っています。

H・Kさん